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医療法人社団健永いずみ会
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2011年東北関東大震災、気仙沼日記(10月22日6時30分)

2011年10月22日6時30分:

かなり寒いと思われた気仙沼もここ数日、過ごしやすく、朝暗いので起床が遅れる。ただ床の上に長く寝たせいか腰が痛くて目が覚めた。各県からのボランティアもいなくなり、私と看護師ボランティア『キャンナス』のみ、男部屋は私一人で使えるので日記を書きやすい環境だ。昨日は仮設めぐりを終えた後、久々に市内の被災地に車を走らせた。特に以前はまだ足を踏み入れられなかった漁港、港湾先端部まで行ったが、依然として瓦礫整理が続いており、平地は水浸しで土盛りをした道路のみ、足をおろせる。しばらく避難所や仮設にいた私はもう少し早いと期待していたが、残念ながら産業復興はかなり先になりそうだ。港湾の冷蔵、製氷工場がほぼ全壊したので大きな遠洋まぐろ漁船が入っても陸揚げできないそうで、銚子港あたりに回ってしまうそうだ。34年前(当時26歳)、洋上補給船『じゃぱんつな』に乗って南太平洋上で物資と医療を提供した漁船の大方は気仙沼の船であった。冷凍庫一杯にまぐろを詰めて、甲板にふかひれを山積みして鼻高々に胸を張っていた漁師さんの顔を今でも思い出す。
さて今回も『おだか医院』に寄ったが相変わらずの混みようで第二駐車場までいっぱい、ご迷惑なので受付で私が来たことのみ伝え、小高先生とは会わずに帰った。その後は例のごとく小山酒店に寄って、店主の地震博士小山様からまた貴重なお話しを拝聴した。続いて駅前の斉藤商店に顔を出したら、主のおばあちゃんが市立病院に入院したことを知る。すぐに市立病院へ見舞いに行くと昨日内視鏡手術をしたそうで、元気な笑顔を見てほっとした。病状から心配ない旨、本人家族に話して病院を後にした。気仙沼出向も様がわりして、自分でも何をしているのか解らない。ただ居るだけだ。それでもまごまご模索しながら、邪魔にならないように静かな気持ちでここに通う。

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本日記は下記にて2011年4月2日より随時更新中です。
【記】
1)医療法人社団 健永いずみ会 岩瀬クリニックHP  http://www.hospita.jp/890/ 
2)母校 学校法人 日本医科大学HP http://home.nms.ac.jp/ 
  東日本大震災における本学卒業生の救援活動について 
3)母校 駒場東邦中学校、高等学校HP http://www.komabajh.toho-u.ac.jp/