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医療法人社団健永いずみ会
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2011年東北関東大震災、気仙沼日記(6月11日5時37分)

2011年6月11日5時37分:

①貢献の継続  ② 涙  

①貢献の継続
来週6月16日から4回目の気仙沼行きだ。今回は前回までと違って活動を
模索しなくてはならない。いろいろ東京で考えても何も決まらないので16日気仙沼に降り立ってから方法を感じていくことにした。4月2日から継続してきた活動も毎回同じ
パターンであったことはなく、目まぐるしく変化している。
その理由に私が変化していることもあるが、現地が変化しているのかもしれない。
それは被災地が少しずつ復興しているということだろうか?
こと医療に関してのみ考えると前回の日記に書いたようにそろそろ現地の医師に医療を任せるということだが、国、県そして市の方針がそうであっても現実には病める
ひとが困っていないかどうかが、すべての指標とならなければいけない。
勿論私が行動する場所が無いくらい医療が充実すれば、すぐにでもボランティアを
撤退して、以降は観光として気仙沼に行くつもりであり、それは私の本懐だ。
では今、観光として気仙沼に行くのは不謹慎なのであろうか?
そんなことは決してない。
今日で震災後、丁度3ヶ月。いつまでも同じ考えで被災地を見てはならないと考える。
『男山』を買おう!呑もう! それもきっとささやかなボランティアだ。
気仙沼へ観光に行ったら、帰りに平泉を楽しもう。それもきっとボランティアだ。
いまだ手付かずに近い瓦礫を片付けている作業員、ボランティアの方たちは、
終わりの見えないつらい日々を今も過ごしているが、それが出来なければボランティアではないのか?そんなことはない。
繰り返すが今回どんなかたちで貢献できるか現地に立ってから真剣に考え、
行動を進める。自分の意思の強さとしぶとさに大いなる期待をして止まない。
決して貢献を止めない。その信念は誰にも負けないつもりだ。







㈪    涙
4月2日~7日の第一回目気仙沼より帰ってきてから今まで、毎日涙を流している。
涙腺が緩み続けて始終涙を隠し、鼻をかんでいる。被災地の人たちが気の毒で
悲しいからでなく、悲惨な瓦礫の山を見て辛いからでもなく、ただこみ上げてくるのだ。
多分怒りと悔し涙だ。父が死んだとき私の僅かに流した涙は、号泣する姉たちの
対面上仕方なく流した涙である。
私は普通の人と比べて涙腺構造が違うのだろうか、
辛いときや悲しいときは涙が出ない。
たいていは黙って考えているか又は吠える。
そういえば88歳の誕生日を6月28日に控える気丈だった母も、父の葬儀で
涙ひとつ流さなかった。
ともあれ今、こうして日記を書いているときも涙が止まらない。鼻をかんでばかりいる。


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本日記は下記にて2011年4月2日より随時更新中です。
【記】
1)医療法人社団 健永いずみ会 岩瀬クリニックHP  http://www.hospita.jp/890/ 
2)母校 学校法人 日本医科大学HP http://home.nms.ac.jp/ 
  東日本大震災における本学卒業生の救援活動について 
3)母校 駒場東邦中学校、高等学校HP http://www.komabajh.toho-u.ac.jp/