診療時間外
マイナ対応

医療法人社団健永いずみ会
岩瀬クリニック

0
ブログ

2011年東北関東大震災、気仙沼日記(5月27日4時40分)

2011年5月27日(金)4:40:

市民会館広場の仮設住宅は全て出来上がって、入居している。中学校校庭に出来ている一部の仮設には少し入居しているが、大部分はまだ整地している段階である。場所の確保が難しくまだまだ進まない。中学校の生徒が当分出来なくなる野球を必死でやっていたのが悲しい。被災地の瓦礫は殆ど放置、フェリー埠頭あたりは75cm地盤が沈下し、満潮時は海水が陸の奥深く入ってきて、とてもこのあたりの復興は難しいと思った。それでも黒焦げになった漁船の間を、白塗りのきれいなフェリーが水面を静かに進む姿にはほっとして少し心が救われた。5月20日、巨大スーパー『マイヤ』へ買い物に行こうと思って南下したが、誤ってバイパスでなく一般道に入ってしまい、海沿いの松岩方面に出てしまった。そこは町が全く消失しており、建物は何一つ残らずただ瓦礫の連続が海岸線を埋め尽くし、埃による濃霧もどきのなかで作業する人達が呆然としながら仕事をしていた。地獄絵とはこのことか、カメラを持つことも出来ず泣きながら引き返してきた。東京都医療救護班D-MATは今月末で全ての業務を終了、撤退し、患者様を気仙沼の医療機関に移行する方針となった。私も徐々にならば同感だが、少し急すぎる印象を禁じえない。そこで5月22日東京に帰る直前に気仙沼市役所へ寄った。日曜にもかかわらず出勤していた総務部菅原様と幸い面会することができ、市立病院院長遠藤先生の面接を受けられるように手配して下さった。市立病院の非常勤医師になることが叶えば、私の想いを繋げることが出来る。一昨日の5月25日、気仙沼市民会館館長から一枚の手紙が届いた。(別紙pdf) 内容は市民会館医務室閉鎖の連絡だ。D-MAT撤退と市民会館医務室閉鎖とどう関係があるのかわからない。いずれにしても市民会館に限らず現地に行って避難者の皆様とお話をして、医師としては勿論、多方面の視点でお役に立てるだろう。また、市立病院で外来を担当できる日が来たらこれ程嬉しいことはない。すこしいい話をするとやや高い位置の居酒屋、すし屋、スナックなどがちらほら開店しており、私も次回からは夜、多少息抜きをしようかと思っている。   

---------------------------------------------------------------------
本日記は下記にて2011年4月2日より随時更新中です。
【記】
1)医療法人社団 健永いずみ会 岩瀬クリニックHP  http://www.hospita.jp/890/ 
2)母校 学校法人 日本医科大学HP http://home.nms.ac.jp/ 
  東日本大震災における本学卒業生の救援活動について 
3)母校 駒場東邦中学校、高等学校HP http://www.komabajh.toho-u.ac.jp/