現在診療中
マイナ対応

医療法人社団健永いずみ会
岩瀬クリニック

0
ブログ

2011年東北関東大震災、気仙沼日記(4月29日13時)

2011年4月29日(金)午後1時:

昨日昼過ぎに、気仙沼到着。今回のチームは私の住む中野駅近隣の有志、大月隆司さん(昭和24年生)(以下、大月さん)と加藤文一郎君(昭和49年生)(以下、ぶんちゃん)である。3人で東北自動車道をひたすら北上すると、途中警察チームの車両をたくさん追い越した。ナンバーは埼玉、新潟、名古屋、三河、岐阜、石川、金沢、三重と多彩で、3日にお出でになる天皇陛下のお迎え準備なのか。対向車線、仕事を終えて南下する救援自衛隊車には「ご苦労様でした!」。一関インターを降りてスーパー・SATY(IONグループ)に寄る。何もかも商品は豊富で被災地近くとは思えないほどだ。少しずつ活気が出ているとも思える。ただし被災者が失ったものは計り知れず、どんなに町が復興しても自分や家族が復興するにはかなりの時間がかかると考える。気仙沼入りして早速東京都医療救援班本部に行き、リーダーをしている南多摩病院の田中譲先生に挨拶。但し明日以降はおなじみ都立大塚病院の脳外科東先生がリーダーとしてお出でになるそうだ。今回も昼の外来は旭川医大、夕方4時から翌朝9時までが我々の出番になる。3週間ぶりに気仙沼市民会館に参った。ソメイヨシノは少し散り始めているが数が多くとてもきれいだ。副館長の横川様は相変わらず元気に陣頭指揮をしておられる。本当に頭が下がる。夕方の外来はわずかだったが、夜中は重症含めて数多く起こされて途切れ途切れの睡眠だった。朝8時、本部で気仙沼医療救護班全員ミーティングに参加。相変わらず総勢100人近い各チームのスタッフが顔をそろえている。前回より変わった印象は心のケアチームが増えてきたことで、のちに市民会館にも毎朝来てくれている事を知った。母校日本医大のユニフォームを探すと第一内科の高木先生にお会いした。お話しすると、当初は救命救急センターから多く救護班に参加していたが、最近は内科系が必要とされているとのこと。私もこちらで患者さんを診察していて全くその通りだと思う。震災当初は外傷、熱傷、骨折、出血などで大変な時期があったと推測するが、今はそのような急性期はほぼ終息している。これからは避難所生活長期化による心身衰弱状態をいかに早く把握して手当てをすることが最も大切だと痛感する。高木先生と同席していた後輩の若い先生や看護師さんと少し雑談したあとミーティングが始まった。各地区の報告は夕方の全体ミーティングで行っているので、朝は新しいスタッフ紹介、簡単な連絡事項の説明があり15分ほどで終わる。あとは昨日チェックした不足薬の調達だが、本部にある薬の在庫も前回よりかなり豊富で元気が出てきた。市民会館にもどり旭川医大と簡単な申し送りをすませ、昼の外来をお願いして一息ついた。10時から前述した旅館主で知り合いの非難者小野寺夫人とともに被災した旅館へ行く。海岸沿い、津波と火事で最も荒らされた区域も前回より瓦礫が減り、少し復興らしきトラックやブルドーザーが出ている。ただ今回は徒歩で近づいたので惨状の臨場感はすさまじく、思わずシャッターを押してしまう。海水でぬかった泥と流木の釘に気をつけてやっとたどり着いた旅館の残骸から、写真など思い出の品をチームの仲間と探し出し、まだまだ未練が一杯であろう奥様に気遣いながら市民会館にもどる。全員怪我も無くほっとした。

---------------------------------------------------------------------
本日記は下記にて2011年4月2日より随時更新中です。
【記】
1)医療法人社団 健永いずみ会 岩瀬クリニックHP  http://www.hospita.jp/890/ 
2)母校 学校法人 日本医科大学HP http://home.nms.ac.jp/ 
  東日本大震災における本学卒業生の救援活動について 
3)母校 駒場東邦中学校、高等学校HP http://www.komabajh.toho-u.ac.jp/