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医療法人社団健永いずみ会
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2011年東北関東大震災、気仙沼日記(10月5日5時16分)

2011年10月5日5時16分:

『振り返る』 
以前から別の約束していた10月20日にうっかり気仙沼出向を決めてしまい、ダブってしまった。どちらも私自身のみの問題でなく、久々に深く悩んだ。結局二転して予定通り10月20日、気仙沼出向することになった。松下館長のメールによると、仮設移転が進む中で市内に分散していた避難所の閉鎖が続き、残った避難生活者が市民会館に集まって最近は人数が増えてきているという話だ。次回から仮設巡回を中心に考えていたが、まだ市民会館中心になるかもしれない。私のお手伝い、友達付き合いをして頂いていた市民会館避難生活の人々もほぼ仮設入りしているが、また新しく入居した方々のこれまでの避難所生活なども聞いてみたいと思う。松下様、横川様はじめ職員の皆様もなかなか本来の生活、仕事が出来ず疲れもピークを大きく越えていると思うが、直面課題を一つずつ解決する日々を気持ちで乗り切っているのだろう。勿論職員の皆様の中にも松下館長をはじめとして被災した方々が何人もいることを知っている。恐らく日々汗を流している市役所の方々の中にも沢山被災者がいるだろう。東北被災地の人々全員、3月11日がなければ何気ない毎日の何気ないことに喜んで笑ったり、すこし機嫌が悪くなったりしながら過ごし、夜は家で夕食をとってテレビを見たりささやかな幸せを感じながら年を重ねていたであろう。休みの日には海に出たり、読書、スポーツ、庭弄り、そしてギャンブルをしたり楽しいことが沢山あっただろう。本来人間はそういうことで生きていることを実感するものだ。このささやかな幸せを早く取り戻さなければいけない。先月、福島県双葉町から4箇所の避難所を移転しながら、どうにか東京・文京区へ逃げてきた老姉弟が来院した。顔を見ると二人とも寂しそうで、諦めに似た表情をしていた。私が4月2日に初めて気仙沼市民会館へ行ったとき避難生活者が皆持っていたあの表情である。長年苦労してやっとたどり着いた落ち着きを、一瞬で壊滅された高齢者の肩を落とした姿に怒りの涙がこみ上げた。振り返っても仕方ないが、振り返らなければ怒りのエネルギーを充電出来ないということもある。

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本日記は下記にて2011年4月2日より随時更新中です。
【記】
1)医療法人社団 健永いずみ会 岩瀬クリニックHP  http://www.hospita.jp/890/ 
2)母校 学校法人 日本医科大学HP http://home.nms.ac.jp/ 
  東日本大震災における本学卒業生の救援活動について 
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