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医療法人社団健永いずみ会
岩瀬クリニック

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2011年東北関東大震災、気仙沼日記(11月20日5時2分)

2011年11月20日5時2分:

昨日は気仙沼大島に渡った。朝8時30分に信越放送の取材を受けた後、鎌田さんと○ヤ○さんを乗せて、急ぎエースポートへ向かった。10時発のフェリーに乗り込んで、海から気仙沼港をながめると改めて惨状が一望に視界に入る。冷蔵工場が立ち並んでいた瓦礫の地域は埋立地だったそうで、海から見ると水面と同じ高さに見える。この地区に再興を期待できるのか?少し不安になる。20分程で気仙沼大島に到着。鎌田さんが生まれ育った島だ。初めに鎌田さんの同級生の実家にお邪魔して大きな炬燵に入って雑談と健康相談。そこに居候している東京の男性ボランティアも加わって、40分くらい心地よい時間を過ごした。続いて87歳になる鎌田さんのお母様の仮設へ向かう。お母様はご高齢なのにしっかりした口調でお出迎えして下さり、難病を抱えていながら強く生きておられる姿に感動した。病気の話を中心に皆でしばらく話に花が咲いて仮設を後にした。鎌田さんのお勧め食堂で、刺身定食を頼んだら30分近く待ったがメカジキ、カツオが山盛り、豚の角煮、つけだし、味噌汁、ごはんで1500円。刺身は新鮮で脂が乗っており、幸せいっぱい。食後は鎌田さんの案内で大島観光!残念ながら亀山リフトは流れてしまったが、小田の浜、あの『気仙沼ちゃん』で有名な旅館『くりこ』などで楽しいひとときを過ごした。しかし大島の被害も甚大で、一時津波によって島の中央が海で寸断されたくらいだ。それでも復興にむけて皆明るく頑張っている姿に頭が下がる。島全体観光地のためか、木々、家、道路に至るまでみごとに整備されており、海が美しい島だった。名残惜しい気持ちで14時30分のフェリーでエースポートに戻った。鎌田さんのご主人の乗るサンマ船が寄港していたので、港へ迎えに行き市民会館で解散した。帰ってから今後の方針など松下館長にアドバイスを受けた後、再度信越放送の取材を受けて、バッタリ爆睡。11月18,19日ともに寸暇を惜しんで動いていたような気がする。今回友達になったカツオ船『安徳丸』船頭、鈴木さんのお話、『気仙沼ちゃん』のご主人のことなど書きたいことが沢山あるが、少し疲れた。被災地で楽は出来ない。