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2011年東北関東大震災、気仙沼日記(12月24日12時2分)

2011年12月24日12時02分:

気仙沼に到着してから二日経過した。一昨日遂に気仙沼市民会館の避難者が全て

会館を後にした。足掛け10か月の間、市民会館の職員の皆様ご苦労様でした。年末年始は自宅、仮設又は旅先などでゆっくりして頂きたい。避難者が居ない今回は私も気仙沼市民会館に寝泊まりするわけにはいかず、予てからお願いしていた五右衛門が原の仮設住宅に住む昆野さんのところへ居候することになった。小学校6年生の長男亮太君と二人住まいなので多少は気楽だが、やはりかなりの迷惑を掛けていると思う。五右衛門が原は有名な室根おろしが吹く寒い地域、そのためか今日で二泊したが

布団にくるまって一日8時間は寝ている。こんなにゆっくり寝たのは何年ぶりだろうか。

さて今回はいよいよ何をしたらいいのかわからない。仮設は概ね回ったが居る人、いない人いろいろで、五右衛門が原の仮設に出来たサポートセンターとも相談したが、こちらもまだスタートして間もないので準備段階。被災者の住んでいた市民会館を本拠地にしていれば自然と見つかった活動も、これからはフリーで単独行動のボランティアとして探すことは難しいだろう。明日帰京する。今までの出向では、この頃になると次の出向日が決まっており、気持ちも高ぶっていたが、どうもまだ何かを感じてこない。3月か4月には観光で家内を連れて来るつもりだが、1~2月のことはまだ決めないでおく。準備室になっていた市民会館の一角で今日記を書いているが、外では東京から貴乃花親方が夫人と部屋の力士を連れてちゃんことお餅をふるまっている。2000食用意してきたそうだ。午後2時からクリスマスイベントを開催してくれる。集まってきた人たちは楽しそうに列に並んでいる。ひとときの幸せ、その連続が人の幸せに繋がるわけで有難いことだ。しかし被災地以外では当たり前のことが、ここではいまだ当たり前でないことが気がかりでならない。何といっても基幹産業である漁港事業の復興がなければこの町は成り立たない。大打撃を受けて廃墟になった港湾地域に高く盛土して大動脈となる100m道路を先ず作ったらいいと思うのだが、気仙沼全地域の修復に力を分散していることが私には遠回りにみえる。まあこれは、こちらの皆様が日々考えていることなのでこれ以上言及することではない。いずれにしても元の気仙沼に戻ることはないのだから、今こそ抜本的に取り組んで、世界に誇れる新しい気仙沼魚港を作るチャンスだと日々思っている。



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本日記は下記にて2011年4月2日より随時更新中です。
【記】
1)医療法人社団 健永いずみ会 岩瀬クリニックHP  http://www.hospita.jp/890/ 
2)母校 学校法人 日本医科大学HP http://home.nms.ac.jp/ 
  東日本大震災における本学卒業生の救援活動について 
3)母校 駒場東邦中学校、高等学校HP http://www.komabajh.toho-u.ac.jp/