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杞憂

 昔昔、中国の杞(き)の国に天が落ちて地が崩れたならば、身の置き所が無くなってしまうと心配して夜も眠れず、食べ物も喉を通らなくなった男がいたという。この故事から、心配する必要がないことをあれこれ心配すること、あるいは取り越し苦労のことを「杞憂(きゆう)」と言う。
 
 人間は意識水準が覚醒状態の時には、何も考えないでいるということができない。何かしら考えている。そして目の前の課題のこと以外に、過去の出来事や先々起こるであろうことに思いをはせる。
過去の栄光の日々や楽しかったことを想い出すと心が温かくなり自信が湧く。しかし、つらい想い出や失敗を思い出すと気分が滅入って自信を失う。最近、ニュートリノの一部が光速よりも速く飛ぶ可能性が出てきたために、遠い将来はタイムマシンができて、過去をやり直すことができるようになるかもしれない。しかし、ここしばらくは、我々は現在でしか生きられない。過去をやり直すことはできないのだ。それでは失敗の想い出にはどう対処すればよいのだろう。
失敗した原因を検討して将来同じような状況に立った際、同じ轍を踏まないように反省することがもっとも建設的な対応であろう。しかし反省という作業は出来事の直後でなければ成立しない。細かく正確な事実関係に関する記憶がそう長く維持されないからだ。時間が経つと、事実に関する記憶は薄れてしまうのに、「失敗してしまった。大変だ。どうしよう。」という感情的な記憶は減衰しない。だから、スポーツで敗戦した時の反省会は試合直後に行わなければ意味がない。時を経てからでは後悔を共有し、愚痴を言い合うだけの残念会になってしまう。そして後悔は心を苛むだけでなんら益をもたらさない。
 
一方、これから起こるであろうことに対して考えることは必要な場合がある。約束に遅れないためには交通状況を予測して家を出ないと、大事な商談を失うことになる。明日の天候を考慮しないで身支度をすると、木枯らしで大風邪をひくことになりかねない。
 ところが人間はこういう有益な心配だけをするわけではない。「来年の人事異動で大嫌いな上司と一緒になったらどうしよう。」「日本の上空にオゾンホールができたらどうしよう。」天が落ちてくるとまでは言えないが、考えてもしょうがないことを心配する。そしてその多くは杞憂に終わるのだが、そうするとまた別のことが心配になる。
 ところで、先ほど後悔の無益さについて話をしたが、実は後悔は無益であるばかりか将来に対する不安を生み出す大元でもある。「あの時やってしまたことがばれたらどうしよう。」、「あんなふうに決めなければ今のような状況にはなっていなかった、これからいったいどうなってしまうのだろう。」、「あんなつらい思いはもうたくさんだ。だけどまたあんなふうになりやしないか。」といった具合にである。
こうして私たちは杞憂を沢山抱え込むことになる。特に、うつ状態になると楽しいことは想い出さず、いやなことつらかった過去、不安なことばかりが次から次に頭に浮かんでくる。そうして目の前にある課題に集中することができず身動きが取れなくなってしまう。
 ところで、こういった不安は全くあり得ないことなのだろうか。残念ながらそうではない。マグニチュード9を超える大震災を誰が予想したろう。それまで地震恐怖症と扱われていた人の不安は3月11日を機に杞憂と笑うことはできなくなった。また、小惑星の地球衝突は、いずれは不可避と考えられている。天が落ち地が崩れることだってあながち馬鹿げた心配ではないのだ。こう考えると心配すべき心配と、心配する必要のない心配との間に明瞭な線を引くことはできない。
 実は杞憂のもとになった寓話には続きがある。
天が落ち地が崩れることを心配する男を心配する男がその男に言ってきかせた。「天というものは気の積み重なったものに過ぎない。気はどこにでもあって、私たちもその気の中で生きているのだ。どうしてその天が落ちてくるなどと心配するのかね」
「天がほんとうに気の積み重なったものなら、日や月や星は落ちてくるだろう」
「日や月や星もやはり気の積み重なりで、その中のかがやきを持ったものにすぎないのだ。だからたとえ、落ちてきたとしても、あたって人にけがをさせるというようなものではない」
「地が崩れたらどうしよう」
「地というものは土の積み重なったものにすぎない。土は四方にみちふさがっていて、どこにでもあるものだ。人が歩いたり踏みつけたりするのは、みんな一日中、地の上でやっていることなのだ。どうしてその地が崩れるなどと心配するのかね」
心配していた男は釈然としておおいによろこんだ。
それを見るといいきかせた男もおおいによろこんだ。
この話を聞いた賢人がこう言った。「天地が崩れはしないかと心配するのは、あまりにも先の心配をしすぎると言わなければならないが、崩れないと断言することもまた正しいことではない」
「天地が崩れようと崩れまいと、そんなことに心を乱されない無心の境地が大切なのだ」。

つまり、心配を実現性の大小で議論しても意味がない。心配することが役に立つならば大いに心配すればよい。しかしいくら心配しても自分の力ではどうしようもないことは放っておくしかないのだ。地震で言えば、防災グッズを備えて避難路を確認したら後は運を天に任せるしかないということである。
ところが無心の境地と言われても凡人がたやすくそんな境地になれるわけはない。理性では天文学的な確率でしか起き得ないと分かっていても頭からその心配を払拭することはできない。それが人間なのだ。ましてやうつ状態に陥った人に無心の境地を説くこと自体が酷というものである。それではそういった不安にどう対処したら良いのか。
私は以前、登山家から山登りの極意を聴いた。
「高い山に登る時は、いつも視線は自分の足元から1~2メーター先に固定すること。あまり上を見るとこんな崖を登れるのだろうかと不安になる。一方下を見るとこの絶壁を落ちたらどうしようと足がすくむ。1~2メーター先を見つめて一歩一歩進んで行くと、いつの間にか頂上へ着く。」
不安が強い患者さんと接するとこの言葉を思い出してこう言うことにしている。「過去を振り返ってもやり直しはききません。あまり先のことを考えても予測不可能です。今日と明日のことだけを考えて一生懸命生きましょう。気が付くと日を重ねて多くのことを成し遂げています。」

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