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薬物依存(3)―依存形成の仕組み―

薬物の不適切な使用による問題について医学的に考える時には次に述べる3つの概念を理解する必要があります。それは薬物乱用(drug abuse)、薬物依存(drug dependence),薬物中毒(drug intoxication)です。薬物中毒には急性中毒(acute intoxication)と慢性中毒(chronic intoxication)がありますが、大麻や覚せい剤で問題となるのは主として慢性中毒です。

薬物乱用は薬物の使い方がルール違反であることを言います。どこまでが正しい使い方でどこからがルール違反なのかは薬によって異なります。法律で所持・売買・使用が禁止されている覚せい剤、麻薬、大麻、コカイン、LSD,MDMAなどはたった1回使っても乱用と言えます。
一方、シンナーなどの有機溶剤は塗装をはじめ様々な分野で必要不可欠な薬物です。ですから塗装をするために使っていて不随意に吸ってしまう場合には、身体に良いわけではありませんが、乱用しているとは言えません。
睡眠導入薬や鎮痛薬なども本来の目的で医師の指示通りに服用している場合には乱用ではありません。しかし、もっとよく眠りたいとかもっと早く楽になりたいという思いから、医師の指示の倍、三倍の量のまとめ飲みは立派な乱用です。私のクリニックでもほかの薬は残っているのに睡眠導入薬だけが無くなったといって予定より早く受診する方がいます。本当に紛失した方もいるのかもしれませんが、多くの場合は乱用だと考えられます。
その摂取の仕方が適正か否かの判定が難しいのがアルコール(酒)です。恋人や友人との楽しい語らいの小道具として飲む酒は問題がないのですが、同じ酒でも、現実を忘れるために酔いつぶれるための手段として飲んだとたんに乱用となります。無論、車を運転している時にはお猪口いっぱいでも乱用です。また、前後不覚になり、どこをどう通って家にたどり着いたのか覚えていないほどの深酒も乱用と言わざるを得ません。
つまり、乱用と言う概念は医学的な基準からだけでなく文化や価値基準にも基づいていて、総合的な社会規範から逸脱した薬物の使用という意味です。純粋に科学的でない概念が診断にかかわってくるのでややこしいことになります。

薬物依存とは「ある生体器官とある薬物との相互作用の結果として生じた、精神的あるいは身体的状態であって、その薬物の精神作用を体験するため、あるいは、時には薬物の欠乏からくる不快を避けるために、その薬物を継続的ないしは周期的に摂取したいという衝動を常に有する行動上の、ないしは他の形での反応によって特徴付けられる状態」と定義されています。理屈っぽくて分かりにくいと思いますので身体依存と精神依存との二つのメカニズムに分けて説明します。
ある種の薬物は繰り返してその薬物を使用していると、その薬物に対する反応が鈍くなっていきます。同じ効果を得るための閾値が高くなると言ってもいいです。このメカニズムを耐性(tolerance)と言います。その薬物に耐性を獲得した人は同じ効果を得るために摂取量を増やす必要が出てきます。やがて身体は常にその薬物が体に入る状態が通常であると認識してしまい、摂取が途絶えると不愉快な離脱症状(退薬徴候)が出現するようになってしまいます。これを身体依存が形成された状態と言います。
離脱症状としてはアルコール依存症の人に見られる、手の振るえ、痙攣、せん妄が有名ですが、市販の痛み止め依存症の人がそれを飲まないと頭痛がするという例も少なくありません。
こうなると、服薬すると楽しい、快適だと言う理由ではなく、服薬しないことから起こる離脱症状の苦痛から逃れるために頻繁に薬物を使用することになります。
これに対して大麻という薬物は繰り返し摂取した後に休薬してもこれと言った離脱症状を引き起こしません。ただ摂取時に起こる感覚の鋭敏化や爽快な気分が忘れられずに、その快感を追い求めて大麻を使用し続けます。このように、その薬物の効果を「欲しい」という渇望を抑えきれないで自分の行動がコントロールできなくなった状態を精神依存が形成された状態といいます。
とは言うものの、大麻を長期にわたって連用した後でやめると体重減少や睡眠障害が起きます。完全に身体依存がないとは言い切れないのです。
乱用される薬物は中枢神経系に対する作用から、抑制系の薬物と興奮系の薬物に二大別できます。麻薬、アルコール、有機溶剤といった抑制系の薬物は精神依存のほかに身体依存を併せ持っています。一方、コカイン、覚せい剤、LSDといった興奮系の薬物は精神依存が強いものの、身体依存はきわめて少ないと言われています。
しかし、そもそも脳は精神を表現するだけでなくありとあらゆる臓器をコントロールしていますから、さまざまな症状を厳密には身体依存と精神依存とに分離することは不可能です。
私の薬理学の大先輩である柳田知司先生が開発した、サルを使った精神依存の程度を評価する実験でみると、主だった向精神薬の中で、コカインがもっとも精神依存形成しやすいことが判明しました。この結果は薬物中毒者たちの体験結果とも一致していました。
コカインはドーパミンを介する報酬系(快感を得る系統)を強烈に刺激します。人間もサルも報酬系の発達には差がないので薬の好みも似ているようです。

薬物中毒とはその薬物によって身体あるいは精神に有害な作用が出る状態を言います。急性中毒は短時間に極量を超えた薬物を摂取することによって、急激に血中濃度が上昇して起こります。新入生歓迎会などで繰り広げられる「一気飲み」でショック状態となって救急車を呼ぶ騒ぎは未だになくなりません。これはアルコールの急性中毒にほかなりません。
命を落とすこともある危険な行為ですが、九死に一生を得た場合には懲りて、二度と同じ行為をしないことが多いので、今回のテーマである薬物依存症とは関係がありません。
問題となるのは慢性中毒です。こちらは依存が形成されたことによって薬物乱用を繰り返すことで生じる病態です。ここまでくると、あわてて原因薬物から遠ざかっても元の健康な状態には戻れません。特に、脳の状態が乱用する以前の状態には戻りません。脳に非可逆的なダメージを残してしまうのです。したがって、いったん止めたかに見えても症状が出現したり、何かの機会にまた乱用を繰り返します。覚せい剤取締法違反で服役したものの再犯率が極めて高いのはこのような慢性中毒状態になってしまっているからです。

薬物依存症患者が出来上がる過程は、薬物乱用によって薬物依存状態が形成されて、乱用を繰り返して慢性薬物中毒状態に陥る。その結果ますます乱用の程度がひどくなり、依存も強化される。乱用→依存→中毒→乱用の強化→・・・・・・という悪循環になってしまうのです。
依存や中毒になる過程を阻止することはできませんから、入り口である乱用を阻止する以外手立てがありません。