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教養を問われる総理大臣

「頻繁」:「ひんぱん」しきりであること。ひっきりなしに行われること。「踏襲」:「とうしゅう」前人のあとをそのまま受けつぐこと。「未曽有」:「みぞう」いまだかって起こったことがないこと。「詳細」:「しょうさい」くわしくこまかいこと。

さほど難解とは思えない4つの熟語を正しく読めない人がいます。現職の日本国総理大臣、麻生太郎さんです。彼によれば「頻繁」は「はんざつ」、「踏襲」は「ふしゅう」、「未曽有」は「みぞうゆう」、「詳細」は「ようさい」と読むようです。

最近の若者は国語力の低下を指摘されていますので、試しに大学生の息子と娘に尋ねてみたところ4問とも正しい読みをしました。息子は「俺を馬鹿にしているのか」と憤慨してしまいました。

肝心の麻生総理は記者から誤読に関しての質問をされると「あっ、そう、それは単なる読み違い、もしくは勘違い、はい!」と言って不機嫌に会見を打ち切って しまいました。メディアも面白がって報道しますが、概ね「字を読み間違えることは些細なことであって、肝心なのは政策である。」という姿勢です。

確かに字を読み間違えることは誰でもありますし、そういったミスの一つ一つをあげつらって人を揶揄することは、揶揄する側の人格や品性を疑われかねません。些細な読み違いとしておいたほうが無難なのかもしれません。

しかし私はそうは思いません。彼の言い間違いは、たまたまで済ませられる頻度ではありませんし、「頻繁」を「はんざつ」とした誤りは単なる読み違いではな く、言葉の意味を理解していないとしか思えないからです。つまりケアレスミスではなく、国語力が著しく劣っていると考えられます。国のリーダーである総理 大臣が、自国の言葉を正しく使えないということは忌々しき問題です。

例えば、麻生総理が母校、学習院大学で開催された日中関連イベントで「日中首脳の交流が頻繁に行われている」と述べるはずのところを「日中首脳の交流が煩 雑に行われている」とスピーチした件などは、単なる言い間違いではすまされません。煩雑とは「わずらわしくごたごたすること」をいう意味です。2国間の交 流に対してネガティブな感情を抱いていることになります。中国に対して大変無礼な話です。

言葉の意味を理解している人が単に言い間違えたならば、気付いた段階で顔色を青くして謝罪と訂正を述べるはずです。漢字一字の使い方が一国の存亡を分けるという事例は、徳川家康に滅ぼされた豊臣家*1を筆頭に、我が国だけでなく中国の歴史の中にも数多く見られるのです。ところが涼しい顔をしているということは、頻繁と煩雑という語の意味の違いをまったく理解していないことを証明しています。

麻生さんは漫画愛読者を自称していますが、これは票目当ての目的で若者におもねって、ことさら強調しているのだろうと思っていました。しかし一連の国語力 欠落のエピソードを知った今、これは私の大きな誤解であったと言わざるをえません。彼は本当に漫画しか読んでいないのでしょう。漫画しか読めないのかもし れません。なぜならば、日常的にそれなりの書籍を読んでいるのならば、あれほど稚拙な間違いをするはずがありません。

世間は麻生さんが連日のように高級レストランや高級ホテルのバーで飲食することに対して「庶民感覚に欠ける」との非難を浴びせています。しかし、彼がどん な所でいくら払って飲食しようが、そんなことはどうでもよいと思うのです。むしろ金のある人がどんどん金を使うということは経済を活性化するためにはとて もよいことだと思います。

国のリーダーが一般庶民の生活実態を知る必要はありますが、何も庶民と同じものを食べ、同じものを飲まなければならないとは思いません。それよりも大事な のは、国を正しい方向に舵取りして庶民の生活をよりよくするために、高い教養を基に熟慮して、ぶれずに行動することです。

このうち思考能力と行動力は生まれつきの資質に由来するところが大きいのでいかんともしがたいのでしょうが、教養は努力によって向上します。総理大臣とも なると政務に追われて自分の時間はごく限られてしまうと思います。その貴重な時間をおじいさんの真似をして葉巻を片手にホテルのバーで飲むのも、少年ジャ ンプを読んで過ごすのも結構ですが、せめて大学生レベルの教養を身につける勉強にも少しは当てていただきたいものです。庶民感覚は実感できなくても、有能 なお殿様宰相であればまだしも、庶民感覚に疎い馬鹿殿様では箸にも棒にもかからないのです。

私は以前のコラムで総理大臣に求められる資質の一つとして「圧倒的な教養」と書きました。中でも高い国語力は必須です。なぜならば思考とは頭の中の言語で行われる作業です。語彙が乏しくて国語力が弱い人の思考は貧困にならざるを得ません。

豊富な知識と優れた思考能力の持ち主の思いつきやひらめきはノーベル賞級の発見や発明を生みますが、両者を欠く人間の思いつきは傍迷惑な騒動を生み出すことがほとんどです。今、全国を混乱に陥れている定額給付金などは愚者のひらめきの典型例ではないでしょうか。

国策でありながら具体的な判断や作業を市区町村にまる投げするという前代未聞の愚策に対する批判に対しても、「地方分権だからいいんじゃないの?」と意味 不明のコメントをする始末。今回の政策は地方への責任の押しつけであり、権限の移譲ではありません。ここでも分権という言葉の意味を理解していないことが 明らかになりました。痴呆露見です。

票集めのために税金をばらまくという思惑が露骨に見えてしまうこの定額給付金、私自身はいったい何に使おうかと思案しました。その結果、私は全額を野党候補への政治献金に当てることに決めました。

おためごかしの大義名分ではありますが、この定額給付金の目的は、悪化している経済の活性化と生活困窮者への社会福祉であったはずです。この両方の目的を 達成するためには、一刻も早く知恵遅れ政権に退場していただくことが必要ですから、野党への政治献金は定額給付金の本来の目的にかなった最善の使途ではな いかと考えます。

小泉退場の後、日替わり弁当のように登場する内閣は次々と国民の期待を裏切ってきました。現麻生総理大臣に至っては濫竿充数*2のたとえがふさわしい状態です。ますます憂国の念が増すばかりですが、私は我が国民の底力を信じます。伏竜鳳雛*3、1億2千万人の国民の中には必ずや有能な指導者としての資質を備えた者がいるはずです。

最近、麻生さんや田母神前空幕長のように、虚勢を張って自分を豪放磊落に偽装する人物がもてはやされる風潮が見られます。大変危険な社会現象です。

見せかけの器や威勢の良さに惑わされることなく、真にリーダーシップのある指導者を見つけ出し、育てていくことが私たち国民の急務であると思います。
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*1方 広寺鐘銘事件:慶長19年(1614年)春、豊臣家が再建していた京都、方広寺の梵鐘の銘文の中に「国家安康」、「君臣豊楽」という文言があった。これに 対して徳川は家康の名前を分断して、豊臣家の繁栄を願い、徳川家を呪詛する意味があるとして、豊臣家攻撃の材料にした。これをきっかけに両家の関係は一層 険悪となり、その年の11月、大阪冬の陣に突入する。
*2濫竿充数(らんうじゅうすう):中国の故事に由来する。実際には能力のない者が、いかにも才能があるかのように振る舞い、分不相応の地位に居座って能力以上の待遇を受けること。
*3伏竜鳳雛(ふくりょうほうすう):中国「蜀志」より出典の言葉。才能がありながら機会に恵まれず、力を発揮できない者、まだ世に隠れている優れた人物のたとえ。
※最後の段落は敢えて難しい熟語を使ってみました。