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パソコン依存症

先々週の土曜日、それまで使っていたパソコンが突然壊れてしまった。しかも、壊れ方が半端でない。まったく電源が入らないのだ。脂汗たらたら。丁度、コラムの原稿をアップロードする前の日。慌ててメーカーのサポートデスクに電話して、指示通りにあれこれ修復法を試した。しかしその甲斐もなく、ハードの故障であり、しかもサポート期間を過ぎているのでどうにもならないことが判明した。
運よく、直前のファイルをすべてポータブルHDに避難させていたので最悪の事態だけは免れた。しかし、ファイルが残っていても肝心のパソコンがなければ如何ともしがたい。そこで、土曜日の診療と往診業務を終えると、押っ取り刀で池袋の家電量販店へとすっ飛んだ。
「今日中に持ち帰ることができるパソコンをください。」
大型量販店とはいえ、すべての商品を店舗にストックしてあるわけではない。結果、私の希望条件のすべてを満足させることはできず、Windows8搭載のパソコンを購入することになった。
セットアップして、「さあ使おう」という段になって途方にくれた。予想していたことではあったが、Windows7と8では仕様が大きく異なって、使いにくいことこの上ない。何せ、これまで「初めの一歩」だったWindowsマークが画面に現れない。したがって電源を切ることができることさえままならないのだ。また、これまで使っていたアプリケーションの一部に互換性がない。
それから3日間ほどは平均睡眠時間3時間くらいでパソコンと格闘する羽目になった。今ようやく、ほぼ機種変更以前の作業を行うことができる環境になったが、一部宿題も残している。

私のパソコンとの付き合いはかれこれ30年になる。薬理の研究室にいるころに出会ったNECのPC8001が最初だ。確かその頃はパソコンとは呼ばずにマイコンと呼んでいたように思う。最大メモリ容量が64バイト。自分でBASICというコンピュータ言語を打ち込んでプログラミングして使う。今の8ギガバイト、16ギガバイトの製品と比べると、同じパソコンというカテゴリーに並べるのが憚れるほど未熟な代物であった。確かにマイコンと呼ぶのが相応しい。電卓の発展版といった存在であった。
したがって、日常的に複雑な計算を要求される研究者は飛びついたが、高価なこともあって、一般に普及するには至らなかった。一般ユーザーよりもテレビゲームという新しい娯楽ジャンルを作り上げたことに功績があったのではないだろうか。
任天堂が1977年にカラーテレビゲーム15という初の家庭向けテレビゲームを発売。その後、世界のファミコンへと発展する。翌年タイトーが売り出したスペースインベーダーはあっという間に、全国の喫茶店やスナックのテーブルを席巻することとなった。このゲームは今でも世界中のいたるところで見かけ、根強い人気を保っている。
当時はもちろんインターネットなど存在せず、マイコンが将来、一大通信手段になるとは夢にも思わなかった。各マイコンはstand aloneで、計算結果は8インチの大きさで容量128バイトのフロッピーディスク(ドクター中松の発明品)に記録するのみ。不便な反面、ハッキングされる心配もなかった。
マイコンが電子計算機の域から一歩飛躍したのが1982年にNECが発売した16ビットマシーン、PC-9800シリーズだ。PC-98はマイクロソフトが開発したオペレーティングシステム(OS)であるMS-DOSによって動作し、BASICのように自らDOSを操り、BASICよりもはるかに簡単に複雑な計算をさせることもできる上に、いろいろな用途に特化された多くのアプリケーションを手に入れることができるようになった。ここでマイコンはやっとパソコンと呼べるようになったと思う。
MS-DOSを利用してワードプロセッサー(ワープロ)と呼ばれる文書作成のみに特化した製品も売られるようになった。このワープロソフトの登場によって、私はスライド原稿作成の際に悪戦苦闘してきた和文タイプから解放された。私達が便利になった反面、大打撃を受けたのが印刷屋だ。その後のパソコン機能のめざましい発達によって多くの零細印刷屋は廃業に追い込まれた。
ワープロソフトでは「一太郎」が一世を風靡したが、私はデータベースソフト「桐」と組み合わせて「松」というとワープロソフトを使っていた。年賀状作成が主な用途の人たちは「一太郎」。原稿書きといった大量の文書作成に従事する人は「松」。こういった棲み分けができていたように思う。
しかし、「一太郎」と「松」の覇権争いも、1985年のMS-DOS上で動くオペレーティングソフト、「Windows1.0」の登場によって終止符が打たれた。マイクロソフト開発のワープロソフト、「Word」が天下を統一したのだ。ワープロソフトだけではない、「Word」と連動する「Eccel」の出現によって、既存の表計算ソフト、データベースソフトはすべて一蹴されてしまった。
そのご、Windowsは何回かのマイナーバージョンアップの後に1995のWindows95、2001年のXPと進化を続け、昨年秋にWindows8となったわけだ。
こうして改めてパソコンの変遷を振り返ってみると実に短期間に劇的な進歩を遂げているが、なんといっても極めて大きな変換点はWindows95が誕生した1995年であったのではないだろうか。
その理由はWindows95が優れたオペレーティングソフトであっただけではない。検索ソフト「インターネット・エクスプローラ」を標準搭載したことによってインターネットが一気に普及したことが大きい。これによってパソコンは世界中の情報を一瞬にして収集する機能を持つことになった。こうして電子計算機の域を超えた存在となった。

研究結果の統計計算のために使い始めたパソコンだったが、その進化とともに私の生活の中にパソコンが深く深く浸透していった。そのことを痛感させられたのが今回のパソコン故障騒ぎであった。この事故がなければ、私の日常生活がこれほどパソコンに依存したものであることに気が付かなかっただろう。
数日の間、原稿を書くことができないだけでなく、診療に関する重要な書類を書くこともできず、知人からの連絡を受けることができず、スケジュールを確認することもできず、知人の住所をはじめ必要不可欠な情報を取り出すこともできず、職員給与の計算もできず、銀行と取引もできなかった。パソコン依存症の私は、日常の便利と引き換えに、多大なリスクを背負っていたのだ。
私ごとき市井の徒でさえ、パソコンの故障でこのありさまだ。重要機能の大半がコンピュータに依存した現代社会はとてつもない危険性を孕んでいるといえる。昨今、緊急の対策が叫ばれている国家レベルのサイバーテロの脅威を改めて思い知った気がする。

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