6代続く医者の家系に生まれました。
初代の森秀格は1700年代後半おそらく寬政か享和の頃に開業したと思われます。(文化元年に死去)
3代の森橘香は詩や和歌を好み、関鳧翁(せきふおう)と親交がありました。鳧翁の子の正就が江戸で死歿した時、橘香が初忌日に鳧翁の許を訪れ、霊牌にそなえた和歌
「忍ぶれば袖こそぬるれ武蔵野の 露と消えにし人のおもかげ」
鳧翁がこれを見て 「むさしのゝ露のあはれととはれては、はても涙のおつばかりなり」と詠んだ 鳧翁(関鳧翁詠草「安左豆久毘」天保七年詠草)
代々漢方医でしたが、4代目の森一郎はベルツ博士(草津温泉と関係が深い方です)に学び、当時としては珍しい洋学医として開業しました。岡山にて明治12年に病死者の解剖の執刀も行っております。
その時の弔事に代えた詩が残っています。
「昔脾肝を割く是れ虐王、文明の今日病理を解く」