今注目が集まっている医療や健康情報を病院検索ホスピタが厳選して分かりやすくお届け! 今回は『赤ちゃんの「抱き癖」は、大いに結構!幸せホルモンを増やそう!』をご紹介させて頂きます。

「抱き癖がつく」に根拠はない

「抱き癖」とは、泣いたりグズったりした赤ちゃんが、抱っこしないと泣きやまない、眠らないような状態がくり返し起こる様子です。

いつも「抱っこしていないとグズる」「抱っこをしないと寝てくれない」「布団に寝かせると泣きはじめる」ので、ママやパパはたいへんです。赤ちゃんを抱っこしてばかりで、他のことが何もできません。このような状態は、生後2〜3ヶ月からはじまる赤ちゃんが多いようです。

だからと言って、泣いている赤ちゃんを放っておくわけにもいきません。できるだけ抱っこしていると、「抱き癖がつくから、やめなさい」とアドバイスをくれる人がいます。大抵は年配の人です。「甘やかすと子供が自立できなくなるよ」という人もいます。

そのたびに、はじめて子供を持った親は「そうなんだろうか」と不安になります。けれども心配はいりません。赤ちゃんの「抱っこ」と「自立できない」は何の根拠もありません。
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「抱き癖」は、昔はなかった?

「抱き癖」は昔からの考えという印象ですが、はじまりは1960年代後半です。50年も経っていません。「抱き癖がつくわよ」と言ってくれるのは、年齢でいうと60〜80代の人がほとんどです。それより以前の世代の人は、おそらく「抱き癖」という言葉さえ知らないでしょう。なぜなら、そのような考え方が日本にはなかったからです。

抱き癖は、1960年代後半にアメリカで生まれた育児法の1つです。当時「小さな頃から自立心を育てる」思想がアメリカ全土で推奨され、流行しました。それには、「ウーマン・リブ」という女性の解放運動が関係しています。女性の社会進出を助けるために、子供の自立心を育てることが必要だと考えられていたのです。

「幸せホルモン」と「サイレントベイビー」

そうは言いながら、女性の解放や社会進出は、表向きの理由のようです。当時、性による役割分担に不満を持つ女性は、アメリカに大勢いて、女性解放を訴える運動は各地で広まります。そして政府は運動を後押しし、政府に関わる実業家は資金を援助しました。女性の社会進出を政府は歓迎していたのです。なぜなら、いまよりも多くの税金が徴収できるからです。

1970年代に入ると、ウーマン・リブはもの凄いスピードで世界に広まります。そして運動とともに、アメリカで流行した「自立心を育てる」育児法も日本に伝わり、「むやみに抱っこするのはよくない」という考えが広まったようです。

ところがその後の研究で、頻繁な「抱っこ」は、自立心に影響しないことが医学的に判明しています。さらに次の2つの理由によって、「むやみに抱っこしない」はむしろ間違いと言われるようになっています。

(1)幸せホルモンの減少
(2)サイレントベイビーの危険性
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抱っこして「幸せホルモン」を増やそう

人間は、安心感や信頼感が得られると「オキシトシン」というホルモンが分泌されます。これは「幸せホルモン」とも呼ばれる物質で、特に「自分は愛されている」と実感したとき、オキシトシンは神経細胞で作られ、脳組織から血液をとおして全身に行きわたると言われています。

たくさん抱っこされた子供は、体内にオキシトシンが多いという結果があります。アメリカ・カリフォルニア大学の調査によると、オキシトシンの少ない女性は、多い女性にくらべて結婚率が低く、さらに離婚率は約2倍高いという結果が報告されています。

結婚・離婚と愛情がすべて一致するわけではありませんが、ただ、たくさん抱っこされて育つことが、子供の人生を左右する可能性があることは明らかなようです。
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「サイレントベイビー」のほうが怖い

赤ちゃんは泣くことで、自分の要求を伝えています。ところが、「抱き癖がつくから」と放っておかれた赤ちゃんは、次第に「泣いても自分の要求は通らない」と思うようになるようです。

そして、「サイレントベイビー(泣かない子供)」になってしまいます。それはおとなしくて、手がかからない赤ちゃんではありません。自分の意志を親に伝えず、飲み込んでしまった状態と言えるでしょう。「これは、すでにコミュニケーション能力障害である」と嘆く医師もいるようです。

ママ・パパは、無理しすぎないで!

抱き癖のはじまりは、他にも諸説あるようですが、いずれも「大人の都合」であるようです。赤ちゃんのことを考えるなら、できるだけ抱っこしてあげるのがよいでしょう。

とは言っても、ママやパパは無理をしすぎてはいけません。時間ではなく、愛情の深さです。できる範囲で赤ちゃんを抱っこして話しかけることで、幸せホルモンは赤ちゃんの体中を巡ることでしょう。