医学的に見た格闘技界にある非常識
2009/05/14更新

格闘技界には医学的な見地からいうと間違っている常識が多くあります。そのいくつかを紹介しましょう。
傷は縫わないで治せ?
まずは試合で切った傷の縫合を断る選手たちの話。
キック系の団体でよく見られますが 「一度縫うとまた同じところが切れたりするので、テープだけで止めてくれ、」という選手たちがいます。
そういう選手たちは前にもきちんと縫わなかったものだから、後で傷に瘢痕ができています。
この瘢痕は打撃によって簡単に開いてしまうのです。
傷口をぴったり合わせてきれいに縫えば元通りの皮膚になります。
しかもその傷痕は周りの健常な皮膚と同じ強さになるのです。
彼らが信じていることとは逆に、縫わないでいると切れやすくなるのです。それが医学的常識なのです。
誰かに吹き込まれたのでしょうか?
おそらく、縫合の下手な医者に縫われた選手が過去にいて、縫合箇所が目立って しまったり、切れやすくなった、それが口コミで伝わって「切っても縫わない方がいいよ」となったのだと思います。
麻酔は打たれるな?
縫合を断るのと同じように「麻酔をするな」というジムもあります。
「麻酔をすると傷の治りが悪くなる」のだそうです。これもまたまったく根拠のない話なのです。
実際はそんなことはなく、麻酔をすることによって傷の治り方に 影響することはないのです。
麻酔をしないというのもジムの方針のようです。
会長が「ダメだ」というと、 選手は会長の言葉を信じて、または逆らえず、麻酔をさせようとはしません。
こちらは別に構わないのですが… 縫うときにその痛みを感じさせないために麻酔をするのであって、麻酔をしないで縫われるのは痛いわけですから、根性を示すいいチャンスかもしれませんね。
麻酔をするときの痛みは、針でチクッと刺す程度。
麻酔をしないで 縫うよりも選手は楽に処置を受けることができるし、縫うほうも余計な気を遣わずにじっくりとより良い処置できるのです。
したがって縫合の仕上がりも より丁寧になるのです。
整形外科医に縫わせるな?
前々号の格闘技通信誌に載った記事で非常に腹の立つことがありました。
「皮膚をカットしたら整形外科医ではなく、形成外科医に縫ってもらったほうが傷はきれいに治る。」といった内容でした。
ある総合格闘技の団体が選手やセコンドに医学的知識を身に付けさせようと、開いた勉強会での発言でした。
この手の試みは大変有意義ですばらしいことであると思いましたが、問題は講師の人選でした。
当日はボクシング界の有名なトレーナーが講師となりました。
セコンドやトレーナーの技術の講義ならわかるのですが、専門的な医学知識や医療の実状に関して決して詳しいわけではなく、何ヶ所か誤った知識を述べ、雑誌もそれを鵜呑みにして報道したのです。
形成外科とはもともと皮膚科から独立した科であり、醜い傷痕やあざを取り去ったり、しわを伸ばしたり、おっぱいを大きくしたり小さくしたり・・・・こういう 技術を受け持つ科なのです。
したがって彼らにとって傷痕を残さずにキレイに縫合することは当然のことです。
しかし、我々整形外科医だってその技術は習得しているのです。
若い女性の柔肌にメスを入れる事だってあるのだから。
そんな場合は特に気を遣って”形成外科的”縫合をしているのです。
また、試合場でも、K−1戦士に限らず美形格闘家や女流格闘家を縫う時だって スーパーモデルを縫う時と同じだけの丁寧さで縫っているのです。
さらに外傷の傷を縫合するとなると、話は別なのです。実際に医者になってから経験する外傷患者の数は、圧倒的に我々整形外科医の方が多く、「こういう傷ならこう」「ああいう傷ならこう」というノウハウは形成外科医とは 比べ物にならないほどの違いがあるのです。
我々整形外科医が、病院でどのような研修を受け、どのような修練を積んでいるかをそのトレーナー氏が少しでも知っていたら、文頭のような馬鹿げた発言は出来なかったと思います。
皆さんなら街で怪我をした時、誰に縫ってもらいますか?
意識のない選手の頸椎を揉む?
これもタイの人の常識で、僕らからすると非常識な話。セコンドが意識のない選手の首を一生懸命揉んでる。
いくら「だめだ」といっても彼らはやります。
私がリングドクターを引き受けている団体の大会会場ではやらせないように注意していますが、僕がみていないところではやっていたりするらしい。困ったものです。
こういう場合、選手を安静にさせるのがいちばんです。安静にしておくのは、全身の状態を見なければいけないし、骨が折れていたり内部臓器の損傷があるかもしれないからなのです。ただでさえ脳しんとうを起こしているのに、なぜ彼らは頸椎を揉んで、追い打ちの脳しんとうを起こそうとするのでしょう。
日本の救急隊員もアメリカのレスキュー隊員も、事故の後には必ず首を固定して動かさないように注意しながらケガ人を運んでいます。これが本当の姿です。
意識のない人や意識が戻ったばかりの選手の首を揉んだり、頭を 強く振っているのをみると「ちょっと待て、殺す気か!」といいたくなります。
傷口をガーゼで覆わない?
以前、あるプロレスラーが眉の上を切って縫ったことがありました。
ところが 「傷は天日で乾かせば早く治るから」と、縫ったところに消毒もしなければテープも貼っていませんでした。
ガーゼで覆うと傷口が湿って治りが遅くなる という考え方なのです。
その選手が切った場所はもともと血流が豊かなところでしたから、ガーゼで覆わなくても治るのですが、本来はこれも医学的常識に反することです。天日だなんて、魚の干物じゃないんだから‥‥。
捻挫した関節を引っ張る?
ヒールホールドでギブアップした場合、骨折している可能性もありますから、正確な評価をする前にマッサージをしたり関節を引っ張ったりするのは非常識。
まともなドクターなら、まずこういうことはしませんが、プロレスなどのトレーナーの中には、こんな非常識なことを平気でしている人もいます。
某プロレス団体のドクターをした時、足を引きずって控え室に戻った選手の 様子をみにいきました。
ところがトレーナーが選手に何が起こってるかという 評価をするまえに、選手が靴をはいたままの状態で足首をつかんで「エイエイ」 と引っ張ったりひねったりしていたのです。
悲しいことに選手もその処置が 正しいと思っているから、激痛があっても我慢していました。
とくにプロレスラーは自分の体が資本で、自分の健康を守るためにものすごく 神経質になっています。
にもかかわらず、いちばん大切な身体を知識もない 人間にまかせてるのが、僕には信じられなかったのです。
もちろん真面目で立派なトレーナーもいて、勉強して選手のために少しでも役立てようと努力する人もいますが、なかには無知なまま、いいかげんなことをして治療をしているような気になっている人たちもいるのです。
たまたまその場に居合わせた医者よりもいつも身近にいて相談に乗ってくれるトレーナーの方を信じる選手の気持ちもわかりますが……。
骨折の可能性も考えられる捻挫をした場合は、そのまま安静にして固定し、患部を冷やして早めの検査を受ける。これが常識です。
眼を殴られたら鼻をかむな?
これはこれまでの内容とは少々趣が異なりますが、示唆に富んだ言い伝え(?)なのです。
試合を終えて控え室に帰ってきた選手が鼻を強くかんだところ、急に目の周りが大きく腫れたのです。
普通ではこのようなことは起こり得ません。
実は眼窩の骨折があって、鼻から眼の方に空気が通る道が出来てしまっていたのです。
それ以後、格闘技界に、試合後強く鼻をかんではいけない、という新たな”常識”が出来たのです。
このこと自体は間違いではないのですが、大切なことは、「鼻をかんだら目の周りが腫れるからいけないこと。」なのではなくて、「鼻をかんで、もし目の周りが腫れたら顔面の骨が折れている可能性がある」 ということなのです。
もしもこんなことが起こったらすぐに、(といっても救急ではなく、翌朝でよいのですが・・・)病院でレントゲンやCTを撮ってもらう必要があります。
格闘家は自分の体をいちばん大事にしなければいけないから、その分ナーバスになっているところがあるのに、間違った常識を信じている人は 多いのです。
彼らはある意味、小心なところがあって、すごく気を使っていますが、間違った知識を金科玉条のごとくに信じているから、こちらが 困ることもあります。
以前は僕らがいくら説明しても聞いてくれないし、理解してくれないことがとても多かった。
しかし最近はそれをやっと乗り越えて、信頼を勝ち得てきたところなのです。


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